「普通」という言葉は嫌いだけれど、私は「普通」ができる人でありたかった
私は社会不適合者と呼ばれる部類の一種だと思う。
決して大きな病を抱えているわけでも、想像を絶するような過去を持っているわけでもない。極々普通の人。
それなのに、普通に髪を黒くして男性なりに短くしてスーツを着て毎日会社に行く。
私はそれができない。大多数の人が不満を抱えながらもなんとなく右に倣って同じようにできているそれができない。
それが全てではないだとか、それができないなりに他のことをしようとか、そういう視野を広げたり角度を変えて物事を見る視点だったり、なるべく前向きに持っていこうとするのは比較的得意な方だと思っている。
それでもどうしようもない時が定期的にやってくる。
ここ数週間がまたその時期。
事実を受け入れるしかなくても、なんでできないんだろうと考えてもできないものはできない。
努力して続けていこうと思っていても途中で体と精神が限界を迎える。
世間一般の「普通」を大多数の方針と捉えるなら、世の中の大人の「普通」があまりにもできない。普通になれなかった。
比較的ここ最近の職場では誉められてきた方だと思う。能力以上の評価だと感じてプレッシャーに感じたりもした。そんなにできる人ではないのに。自分に自信はない。自信あるけど自信ない。
その裏にはきっとこういう自分の中の誤魔化しきれない部分があるからなのかもしれない。
私はあなたの期待には応えきれない。
「普通」という言葉は嫌いだ。そんな基準が曖昧な定義の言葉に惑わされる人生なんてごめんだね。
それでもあえて使うなら、「普通」ではない人でいたいと思う。それを言葉にするなら「独特」・「個性」と言うんだろうか。
一番大事にしたい部分なのかもしれないな。
それでも私は、それを踏まえた上で「普通」ができる人でありたかった。
演じることができる人でありたかった。
解決策や、自分に合う生き方をしていけばいいだけなんだけれどね。
とっくにわかっているんだ、そんなことは。
足掻いて足掻いて、より良い生き方のヒントを探す旅の途中。
休憩所もまだ見えてこないけれど、近いうちにきっと何かが見つかりますように。